Photo by Ted Tanaka
 
 
  プロフィール
 
父から 3歳の頃より父の津軽じょんがら節を聞いて育つ。昭和45年財団法人日本民謡協会主催全国大会優勝、日本一となる、高校1年生の時だった。休みの日は朝から晩まで唄と三味線の稽古に明け暮れ、厳しい修行の甲斐あっての日本一だった。昔、父は歌手志望だったので『レコード会社は絶対ビクターでなければ認めない』と他社のスカウトを全て断ってしまう。
小学校2年生?
父と庭先で(夏休み)
先生達 子供の頃から父 故.金沢大成より芸の手ほどきを受ける。
16歳より女流津軽三味線 故.工藤菊枝先生に師事。
19歳より邦楽 端唄 お座敷唄 民謡 本條秀太郎先生に師事。
20歳より西川流 日本舞踊 西川鯉之祐先生に師事。
本條流家元 本條秀太郎先生
デビュー

本條秀太郎先生のご紹介で『ビクターレコード』と専属契約。昭和50年(1975)の秋の終わりから本格的にレコーディング。夢見たデビューから2年間、キャンペーンばかりで月36,000円の家賃が払えず電気.ガス.水道.電話も止まったことがある。当時の取材は必ずぬいぐるみ(スヌーピー)を抱くように言われ、電車で通う時は恥ずかしくて嫌だった。
生まれて初めて新聞に載った小さな切り抜き記事を今でも大切に持っている。

民謡&演歌 津軽じょんがら節の津軽三味線の音を聞くとなぜか血が騒ぎ、津軽山唄など尺八の音はたまらなく好きなんです。あまり語りませんでしたが、母方の祖母は生前常磐津を教えてました。その影響なのか、孫の私は端唄や小唄など細三味線の音を聞くとやはり血が騒ぎます。
昭和50年代の民謡ブームは忙し過ぎて睡眠時間もあまりとれず眠い毎日でした。
『イエローサブマリン音頭』はビートルズ結成20周年記念曲の企画曲としてリリース。ビートルズファンや学校の先生達から、そしてPTAからも随分嫌われる時期がありましたが、一時代を築いたと言っても過言ではないですね。プロデュースは、大滝詠一氏。
House Mix、ライブ活動は最も民謡が生き生きと生き返るのを感じたものです。(編曲*寺田創一『平成Mix東京音頭』はクラブヒットとなりシングルリリースされました)
演歌や数々の素晴らしい作品なども歌ってきましたが、いつか花咲く日が来ると今でも信じて歌ってます。
好きなもの 魚料理 肉料理(特に牛、とんかつ) 和菓子 洋菓子 イタリアン(チーズ系大好き) 韓国海苔 感じの良い人 頭の良い人 ハートのある人 男らしい人 暖かい人 温泉 犬 宝石
嫌いなもの へび トカゲ ゴキブリ 蜘蛛 草むしり 針仕事 英語 エッチな人 図々しい人 試験 暗記 緊張感
苦手なもの 鳥肉 豚肉 蜂の子 イナゴ シャコのにぎり 酢豚 冷たい人 威張る人 お金持ちぶる人 傲慢な人 頭を使わない人
趣味 ダイエット(グローバル漢方より本を出版) サウナ ウオーキング ドライブ(一寸暴走ぎみ) 平泳ぎ(10かきだけ) 和服のコーディネート 難問を推理する事 絵画鑑賞 ビデオ鑑賞 音楽鑑賞 ゲーム ゴルフ 散歩
泣きどころ 情けに弱い 涙もろい 絶食ができない 遠視の乱視 理数系とメカと優しさに弱い